Apr 01, 2010

並べ替えカバータイプのソファー

新居の注文に応じて、ソファを購入しました。汚れや疲れたりすると、簡単に変更できるように配置カバータイプのソファにしました。 3人用のオットマンが付いて10万ちょっとだったと思います。今子供が生まれて実際に並べ替えカバーを購入したいのですが見てみると、3万かかることが発覚しました。生地を選択する必要がもう少し安いものもあるが少し後悔しています。
私はいつも布団を敷いて寝ているのに、無性にベッドで寝て衝動に駆られます。旅行ホテルの滞在時にベッドで寝たことができますが、その柔らかい状態が非常にたまりません。その後ベッドがベッドで寝てということで購入をしたいが、部屋が狭いため、両方のスペースがなく、泣きながら我慢の毎日です。
 乙訓地域で18日、名所旧跡を散策するツアーや古文書講座が開かれ、地域住民たちが地元の歴史の奥深さを学んだ。
 京都府大山崎町では、大山崎ふるさとガイドの会主催の「ふるさと散策ガイドツアー」があり、約80人が社寺や美術館などを巡り歩いた。
 四つのコースで、同会のメンバー約40人がボランティアで案内にあたった。参加者は約2時間かけて離宮八幡宮、宝積寺、山崎聖天、アサヒビール大山崎山荘美術館、町歴史資料館を見学。「ふだんは意外と訪れる機会が少ないのでうれしい」と話していた。
 長岡京市天神の市立図書館では、地元に残る古文書を通して郷土史を学ぶ「ふるさとワーク・古文書講座」が開かれた。市教委が市史編さんの過程で収集、調査した古文書に関心を持ってもらおうと、毎年、入門編から上級編まで三つのレベルで連続講座を企画している。
 この日は今年最後の講座で、上級者向けの輪読会では約20人が生涯学習課文化財係の職員の指導を受けながら、奉行所が地域に出した「町触(ぶ)れ」の解読に取り組んだ。
 参加者は、江戸末期の古文書を題材に、明治新政府に移行する中での制度変化などを伝える内容を読み解き、当時の人々の暮らしに思いをめぐらせた。

【江戸前史 ぶらり関東記】(6)

 「旧石器時代の遺跡は、日本全国に1万カ所あるといわれていて、世界でもちょっと例がないほど多いんですが、なかでも関東地方でたくさん見つかっている。その最初がここでした」

 群馬県みどり市の岩宿(いわじゅく)遺跡は、関東平野の北西端あたり、赤城山の裾野に位置する。渡良瀬川によって形成された扇状地にヒョウタン形の小さな丘があって、狭くなった場所を道が横切る。この切り通しが、考古学界を揺るがす大発見の場所だ。遺跡に隣接する岩宿博物館を訪ねて、館長の小菅将夫(こすげ・まさお)さん(50)に詳しく解説してもらった。

 発見者は、アマチュア考古学者の相沢忠洋氏。切り通しのがけで石器らしきものを見つけ、3年間かけて調査した末、ついに黒曜石で作られた石槍を採集した。話を聞いた明治大学の考古学チームが岩宿を訪れて発掘し、縄文時代に先立つ旧石器時代の遺跡だと確認した。それが1949(昭和24)年のこと。

 それまでは、日本に旧石器時代はない、と信じられていた。岩宿ではその後、3万年前から1万6千年前にあたる地層から、次々に石器が発見された。

                  ◆◇◆

 ところで、なぜ旧石器時代の遺跡が関東でたくさん見つかるのか。一因は単純で、研究者が多いせいだという。人口ですか。身もふたもない話だけど、それはそうだろう。それだけですか?

 「当時は陸地だった瀬戸内海のことはわからないのですが、それをのぞくと関東平野は日本で最も大きな平原でした。大型の草食動物が豊富にいる。そういう意味では生活がしやすかったかもしれません」

 旧石器時代、人々は食糧を求めて移動しながら暮らしていたと考えられているが、集団生活を営んでいた形跡が残っている。岩宿に近い伊勢崎市に下触牛伏(しもふれうしぶせ)遺跡という約3万年前の遺跡がある。岩宿と比べると知名度には欠けるけど、発見内容はこっちのほうがすごい。

 石器が約2千点発見されたのだが、その平面分布が特徴的だった。直径約50メートルの円に沿って、石器や石片が固まって出土した。数世帯で広場を囲むように、石器を作りながら暮らしていたらしい。「おそらく100人ほどが集まっていた」。のちの縄文時代よりも大きなコミュニティーだ。当時、日本列島にいたナウマンゾウやオオツノシカといった大型動物を狩るために、大集団ができたというのが小菅さんの推理。たとえばゾウを狩って、何トンもの肉や皮をどうするか。それなりの人数が必要だったはずですね。納得。

                  ◆◇◆

 一口に旧石器時代といっても、長い間に石器の作り方や使い方は変わっていて、専門家は技法の違いを読み取る。2万〜1万4千年前の日本列島は、ナイフ形石器の特徴によって、大きく4つの地方に分けられるそうだ。「このころ、地域性というものがはじめて生まれたといえます」

 さらに1万4千〜1万年前になると、日本列島の南北から、細石器文化が流入してくる。細石器というのは、単純に言えば「替え刃」の技術革新。大きく2種類に分類されて、最後の到達地だった関東周辺では両方が使われている。旧石器時代末期の関東は、異種文化が交差する場所だった。

 博物館の2階に、石器の分布図が展示されていた。「関東の歴史を考えるなら、岩宿には行っておいたほうがいい」。ある考古学者に、そんな助言を受けての訪問だったが、地図を前に「なるほどなぁ」と納得。これがまさに地方史の原点かもしれない。

 いま関東平野にこれだけ人口が集中しているけれど、江戸以来の話などではない。旧石器時代から、多くの人が集まっていた。土地に備わった力というものは、そう簡単に変わりはしない。(篠原知存)

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